父の死と過敏性腸症候群

父の死と過敏性腸症候群〜その①

父の入院の連絡

8月の初旬に父が緊急入院すると母から連絡が入った。海外で生活している私だが日本からは飛行機で2時間という距離の位置に住んでいる。次の日、私は日本へ帰ることを決めた。少し嫌な気配を感じつつも父と母の待つ故郷へ帰った。結果的に父は入院後3週間で永眠してしまう。自宅や職場に帰ることも出来ず、やりかけた仕事、車、脱ぎぱなしの服や靴をそのままにして逝ってしまった…

 

前の日に気がおかしくなりなった私は、心配な気持ちを抑えきれず眠る事ができなかった。睡眠不足は過敏性腸症候群である私にとって一番の敵である。飛行場に向かう途中、飛行機内、そして日本へ着いてからの電車での移動中、頻繁に腹痛を起こしてしまった。おそらくパニックになり、コントールが効かなくなってしまったのだと思う。父の事を心配するあまり、自分の事をおろそかにしてしまったからだ。何回トイレに行っただろうか、体は冷たくなり、顔色もすごく悪かったらしい。(妻や知り合いから聞いた話)

 

直行便がないため、飛行機を降りてから更に2時間JRの特急列車に乗らなればならない。その特急列車に乗っている2時間が今まで何百回も乗っていて、乗り慣れた空間なのになぜかその日だけはものすごく長い時間乗車していた気分だった。なかなか目的地に着かずやきもきしていた。

 

実家のあるN市の駅に着いたのは24時ちかくだった。最終電車になんとか間に合い、母の待つ実家につく事ができた。母は憔悴しており、私の嫌な直感があったと実感した。

 

実家について母と話をするのが怖かったが母の話を聞こうと思ったが少しばかり決断する時間が必要だった。時間を置いて心の準備がしてから母と向き合い母の話を黙って聞いた。

 

やはり父の症状は私たちの予想していた以上に重く、手遅れだという診断を遅かれ早かれ告知されるだろうと母は私に伝えた。この事実を受け止めるには時間が必要だと感じたが、神様は私に少しの時間も与えてくれず、ただ一方的にその事実を私は水を飲むかのように体の一部のどこかにインプットした。

父の待つ病院へ

次の日、母と私は父の待つ大学病院へ向かった。父の表情は病人というには程遠く私自身も父が病気であることを疑うくらいであった。普通に会話も出来たし、病棟の廊下を自由に歩くことさえもできる。もう少し詳しくいえば、街中を普通に歩きことさえも出来たと感じられるくらいであった。その時点では外見からは父が手遅れの患者だとは誰もおもわなかったはずだ。だけれど、私たち家族の思いとは裏腹にこのとき父の病魔はものすごいスピードで父の体を蝕んでゆくのである。もし神様がいたとしたらその神様は私たち家族の思いをどこまでわかってくれていたのだろう…

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